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8月, 2014の投稿を表示しています

一歩ずつ

GRSが設立して9か月、漸く業績が一つできつつあります。2月にGorgetown University、Tufts UniversityそしてNorthwestern Universityを訪問して、アメリカにおけるレギュラトリーサイエンス研究と教育の現状を視察してきたことは、 ココ にも書きました。教室運営費を使って視察に行ったのですから、得た情報は広く皆さんと共有すべきと考え、レギュラトリーサイエンス学会誌に、「報告」として和文論文を投稿しました。 このほど、編集委員会による審査が終わってアクセプトの通知を頂きました。掲載はもう少し先のようですが、GRSとしての歩みがはじまったところです。その一歩は小さいかも知れませんが、着実な一歩です。 次は、この二人が大きな一歩を踏み出すように、後ろから背中を押していきます!

英語でプレゼンテーション

当講座のY本研究生から、「現在企業インターンシップで来日しているドイツ人大学生との交流はどうか」との申し出があり、渡りに船?とドイツ人女子大学生Aさんとの交流会 in GPUが行われました。 縁とは本当に不思議なもので、Aさんは20年ほど前に岐阜に住んでいらしたのです。当時お父様が交換留学生として岐薬大の製剤学教室に留学されており、1年間岐阜に滞在していたことから、今回の交流に結び付きました。 ドイツ南部、スイスとの国境に近い S igmaringen University在学のAさんは、当然?ドイツ語、英語、フランス語、スペイン語などを流暢に話す、普通の女子大学生。我々は英語以外の対応は無理ですので、英語での交流となりました。 同年代の学生として、我がGRSの精鋭?2名と製剤学教室から4回生3名、修士学生2名が参加しました。 O西君とW氣君に取っては、初?の英語プレゼン。短い準備期間に関わらず、自分の研究課題をスライドにまとめ、原稿も何とか完成。 意外に堂々とプレゼンする姿は、なかなか頼もしく見えました。どこで覚えたのか、O西君にあっては、自己紹介の掴みに、「Goten Tag」と。コレにはAさんもニコリ! 二人ともTOEICではソコソコの点数を取っているそうなので、あとは実地訓練あるのみ。良い機会になったのではないでしょうか? このラボは、グローバル・レギュラトリー・サイエンスですから、次は国際学会目指して、研究を頑張ろう!

海外留学の勧め

先日、ベルギー留学時代に時を同じくして現地にいらした仲間の集まり、「Leuven会」が東京で行われました。年に1回はこのような集まりで、昔話に花を咲かせたり、お互いの人生の節目を祝ったりしております。 私は様々な人々に助けられて、ベルギーのKatholieke Universiteit Leuven (KULeuven)に2004年1月から2006年1月まで留学していました。当時は製薬企業に勤めていましたので、「海外研修」と言う制度を当てはめてもらっての留学となりました。とは言え、自分の願望から始まった留学でしたので、「薬づくり」からは遠い基礎生理学・薬理学研究を通して、ポスドクトレーニングを積みました(家族や会社の理解に感謝しています)。 一般的にこの様な研究分野における留学は、アメリカやイギリス、スイス、デンマークなどが多いのですが、私の場合はベルギーを選択しました。理由の第一は、そのボスの下で興味ある研究を通してトレーニングを積みたかったからです。その他に、治安と経済情勢、ヨーロッパの歴史、食文化、自分の趣味が影響したことも大きいのですが... 結局、行先は日本の恩師に紹介状を書いていただける範囲から自分で探し、国際学会のポスター会場でボスにアポ無し面談を決行しました。その時の彼の誠意ある対応が留学先決定の決め手でした。 留学は2004年1月から2年間。もちろんインターネットで情報収集に努めましたが、当時は、今ほど情報が無く、渡航ビザの取得も大変でした。とは言え、国内でしたら日本語に日本並みの対応ですから問題ありません。大変だったのはベルギーに入ってから。 アパート探し、住民登録などの諸手続きなど、ベルギー人の大学院学生に助けてもらいながら生活拠点を作り、並行して、ある実験方法の確立と研究テーマの設定を期限を切られて実施せねばならなかったのです。そのため、留学して3ヶ月間は家内以外に一人の日本人とも会いませんでした(正確には日本人らしき方に会っているのですが交流がなかった)。 最初のラボでのプレゼンが上手くいき、期待する実験データも出つつあった2004年の春以降は、少し余裕が出てきました。その頃、隣のラボに日本人らしき方が別のラボから実験に見えており、意を決して声を掛けたところからからネットワークが広がって、何人かの在ベルギー日本

炎色反応

炎色反応と言っても、化学実験をする訳では有りません。当GRS講座はドライラボですから。 岐阜市の長良川河畔では、毎年7月最終の土曜日と8月最初の土曜日に花火大会が開催されます。2週続けて開催されるわけですが、個人的には「前半」がお勧 めです。違いは主催団体、打ち上げられる花火の量と質です。前半は、全国選抜の花火師による競技大会であるため、色々な新作が見れるのです。 と、ずっと子供の時から思ってきましたが、調べてみると、何れも打ち上げられる量は約3万発と同じのようです(少なくとも子供の時は前半が多くて、後半が少なかった気がします)。最近は後半の花火もなかなかの人気なようです。 幼少のころは実家の2階からスイカを食べながら打ち上げられる花火を見たものですが、年々2階建て以上の建物が建ち、見えなくなってしまいました。それでも近所の通りからは大輪の花火の一部は見えます。 岐阜を離れて久しかったので、本当に久々に見ましたが、こんなものだったっけ?と言う印象。もっと沢山打ち上げられていたように感じたのは、自分が子供だったからでしょうか? でも、この地で生まれ育った者としては、これらの花火大会が夏の風物詩であり、正に「夏が来た」と思えるのです。 学生達は、まだ前期試験期間中ですから、花火を楽しむ余裕はありませんが、鵜飼と花火と岐阜城は、岐薬で過ごした思い出に焼き付けておいて下さい。